ガールスカウトのキャンプの下見で、プールがあって、毎日プールに入って、水泳テストをして、合格したら、ブレスレットがもらえます、といわれた。
「なくしたらどうなりますか?」と聞く子がいた。(疑問に思ったら、躊躇せず、なんでも聞く、という態度を養うのはよいことだと思いますが、どーしようもないこと(しょーもないこと)を次から次へ聞いて、聞かれるほうだけでなく、周りの人もうんざりするような子もいます、、、)
「もういちどテストを受けてもらいます。責任というものを学ばないといけません。なくした責任は自分でとらないといけません。」
いやー、、、「責任」という抽象的な概念というか、態度というか、精神というものを、こうして具体的に身につけるというのは大切なことだし、それを、意識して「教育」するというのもすごいことだ。
日本だと、「ものをだいじにしましょう」という標語というか「キソク」があって、なぜかということと関係なく「キソク」はまもりましょう、ということになっていて、守らないと「バツ」がある。
なくしたバツです、もう一度テストを受けなさい、というのと、
責任感を身につけるためにもう一度テストを受けさせる、というのと、
することは同じでも、学ぶことは違う。
責任とか義務とか目的とか自立とか、そういう基本概念は、コトバとして覚えても意味がないことだ。
そういうことを意識して行動できるように体験を通して「教育」する。
「なくしたらどうなりますか?」と聞く子がいた。(疑問に思ったら、躊躇せず、なんでも聞く、という態度を養うのはよいことだと思いますが、どーしようもないこと(しょーもないこと)を次から次へ聞いて、聞かれるほうだけでなく、周りの人もうんざりするような子もいます、、、)
「もういちどテストを受けてもらいます。責任というものを学ばないといけません。なくした責任は自分でとらないといけません。」
いやー、、、「責任」という抽象的な概念というか、態度というか、精神というものを、こうして具体的に身につけるというのは大切なことだし、それを、意識して「教育」するというのもすごいことだ。
日本だと、「ものをだいじにしましょう」という標語というか「キソク」があって、なぜかということと関係なく「キソク」はまもりましょう、ということになっていて、守らないと「バツ」がある。
なくしたバツです、もう一度テストを受けなさい、というのと、
責任感を身につけるためにもう一度テストを受けさせる、というのと、
することは同じでも、学ぶことは違う。
責任とか義務とか目的とか自立とか、そういう基本概念は、コトバとして覚えても意味がないことだ。
そういうことを意識して行動できるように体験を通して「教育」する。